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第五 私の投獄と試練(9)

第五 私の投獄と試練(9)

さて、私たちは初め、食物があまりにも粗悪であることから、
箸をつけることもできなかったが、
三四ヶ月過ぎてくると、ようやく飢餓を覚えるようになってきた。
そもそも監獄の食物は三等に区別し、
重労働に就く者には麦飯七合、
普通の労働に就く者には五合、
労役に就かない者には所持金があっても、
食物は一切買うことが許されなかったからである。

友人たちの多くは、労役を願い出て、作業場に出かけることによって、
食事の量を増やし、その賃金をもって、食物を購入してりしていたので、
食べることに関しては、私たちよりも遥かに豊かであった。

この時は、聖書をはじめその他の書籍も多く差し入れされていたので、
労働して空しく二年六ヶ月も読書を怠るのは忍びなく、
また、神のことばをもって生活をしてみたいという思いもあり、
なるべく労役には就かないようにと決めていた。

そんなある日、私は空腹を覚え、イライラしていた。
ふと申命記八章が目に留まり、大いに神の恵みを得た。


 あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。
 こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、
 すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。
 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、
 あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。
 人はパンだけで生きるのではなく、
 人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

 

この章を読むや、一片の聖なる火が胸の中に入って来て、私の心を燃やした。
私はひそかに涙をのんで神に感謝した。
これより、次第に飢餓を忍ぶ力を得、勇気が湧いてきた。

かつて、私たちの主イエス・キリストも四十日の断食の後、
サタンから誘惑され、試みを受けたが、このみことばを用いて、
「人はパンだけで生きるのではなく、ただ神の口から出るすべての言葉によって生きる」と答えられたのを思い出し、
私は神の恵みによって、それ以後も労役をせず、
ただひたすら神のことばによって生きようと決め、
もっぱら聖書やその他の本を読みふけった。
それで、私は病気の心配もなく、非常に稀なことに、
心身ともに健康に過ごすことができた。

by hokkaido-revival | 2011-01-06 18:29 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

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