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坂本直寛とは

坂本直寛とは一体どんな人物なんでしょう・・・?

坂本直寛とは_d0202231_18495290.jpg嘉永6年(1853.11.5)10月5日、土佐国(高知県)安芸郡安田村
に生まれました。

父は高松順蔵、
母は坂本龍馬の長姉・千鶴。
17歳の時に、伯父・権平の養子となりました。

立志舎で学び、後に上京。
土佐に戻ってからは、植木枝盛、
片岡健吉らとともに自由民権運動に参加し、
熱心に活動します。



そのかたわら、高知に来た宣教師ノックスのもとに通い、聖書を学ぶようになり、
明治18年(1885)5月15日、洗礼を受けます。
このとき、片岡健吉や武市安哉、板垣鉾太郎らも共に受洗、
高知教会の誕生。

明治20年(1887)、三大事件建白運動で、建白総代の一人として上京しますが、
保安条例のもとに、逮捕・投獄され、石川島の監獄に2年間収容されてしまいます。

出獄後は、県会議員を務める一方で、伝道にも精力的に取り組みます。
そんな中、拓殖事業を志し、
明治30年(1897)に、北光社を設立。
キリストの国を建設すべく北海道へ一家をあげて移住しました。

移住後は、北見・訓子府原野の北光社農場、浦臼の聖園農場などを開拓・経営しますが、
明治35年(1902)伝道界への献身を決意して、旭川(現在の旭川六条教会)に赴任。
2年後の明治37年(1904)按手礼を受け、牧師となります。

宣教師ピアソンと共に、
軍人や、アイヌ民族、監獄などに伝道して
各地を講演して廻りました。
廃娼・禁酒を訴え、新聞にも多くの著作を発表しています。

とりわけ、十勝監獄では、素晴らしいリバイバルが起きました。
明治40年4月、監獄での講演において、
滅び行くたましいを思い、涙ながらにキリストの十字架を伝える直寛に、
人々は心打たれ、1000人近い囚人達が次々と悔い改め、信仰告白しました。

その中には、出獄して後、伝道者となる者もいます。


明治42年(1909)、札幌の北辰教会(現在の札幌北一条教会)の牧師に就任、
朝鮮や函館での伝道を計画していた最中、胃癌に倒れ、
明治44年(1911)9月6日に天に召されました。

現在、札幌の丸山墓地に眠っています。

詳しくは、こちらの本で ↓

龍馬の甥 坂本直寛の生涯

土居 晴夫 / リーブル出版


by hokkaido-revival | 2010-11-20 18:58 | お知らせ  

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