第四 受洗後の信仰と家族一同にわかに聖霊の恵みを受けたこと(1)

第四 受洗後の信仰と家族一同にわかに聖霊の恵みを受けたこと(1)

今思えば、私が洗礼を受けたことは、非常に危険なことであった。
私の信仰は実に薄弱なもので、人前で祈ることもできず、
家にいても、真実な祈りができなかったくらいである。
私が洗礼を受けたのは、福音的に神を信じたというよりも、
むしろ理論的に信じ、社会的にキリスト教を受け入れたからだ。

およそ世間でバプテスマを受ける人は、
すでに祈ることができるようになって、洗礼を受けるのが常である。
しかし、私は受洗後に至って、努めて祈ることを始めたのである。

また私は、生来大変な大酒飲みと言われる程、酒を飲んだのだが、
受洗の時も、師から格別酒について聞くこともなかったので、
受洗後も酒を断つことは全くなかった。
たしかに、かつてと比べれば、多少飲む量は減ってはいた。

しかし、ある夜、酒を少し飲んだところ、突然腹痛に襲われた
これはとても不思議なことであった。
私は以前酒を大量に飲んだ時ですら腹痛になったことなどなかったからだ。

次の日、再び少量の酒を飲んでみた。
すると不思議なことに、再び腹痛にみまわれた

こうなって私は大いに感じるところがあって、これから後、断固として禁酒することとなった。

 『霊の父は、私たちの益のため、
私たちをご自分の聖さにあずからせようとして懲らしめるのです。』
(ヘブル人への手紙 十二章十節)


右に述べたように、私の信仰は実に微弱なものではあったが、
神は私をつまずかせることなく、少しずつ信仰を養って下さったのである




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この話を読んだ時、思わず吹き出してしまいました。
なぜって、シオンチャーチに、これと非常によく似た体験をした方が
いらっしゃる
からです。
神様のもとに帰ってきてから、
あれほど飲んでいたお酒を飲むと、飲めなくなっているのです。
タバコを吸えば、じんましんが出て、気持ち悪くなってしまうのです。
癒されてたんですね~。

ですから、直寛さんに起きたことが単なる偶然ではないと分かります。
主は生きておられますね☆
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# by hokkaido-revival | 2010-11-23 13:54 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第三 私がキリスト教を求道するようになった経緯

第三 私がキリスト教を求道するようになった経緯

板垣退助伯がイギリスより帰国すると、
キリスト教が欧米文明諸国で勢力があると聞き、
これを広めるのは外交上最も都合が良い政略となると思いはしたが、
自らこれを信じようという気持ちは依然として起きなかった。

たまたま、フルベッキタムソン両宣教師が高知に来た時、その説教を聞いた。
続いて、ナックスミロー両宣教師が高知で伝道を始めた際、
私は彼らと交際するようになり、その教理を知りたいという思いを持ち始めた
しかし、私は、ただ外国人だからといって、むやみにその説に同調するのを快しとせず、
もっぱら無神哲学を調べて、これと論議した。
日本人のうちには、外国人というだけで心服することはなくても、
表面上は彼らの言うことに同意して、交際する者が多いことを、軽蔑していたからだ。

私は、ナックス師と三日程議論した。
私はついに彼に論破され、聖書の学びに参加すると約束する羽目になった。

これ以後、聖書を調べ、あるいは神学の大意を聴くこととなった。
しかし、いまだにキリスト教を信じようという気持ちが起きなかったので、
雨の夜などは、師の宿泊する旅館に行くことが甚だ面倒で、
度々怠けて行くのをやめようとした時もあった。
しかし、一度外国人と約束した以上は、
これに背いて怠るようなことがあっては、日本人の信用を失うこととなる

従来、日本人が外国人の信用を失うのは、約束を破るからである。
と思い、私は努めて師の宅に行っては、この道を講究した。

これが、私が神に近づくこととなった始まりである。
私は、聖書を読み、キリストの説く戒めには、早くから感服していたが、
その奇跡に至っては、容易に疑いを解くことができなかった。
しかし、植村正久氏が高知に来た時には、私は氏について、聖書の講義を聴いた。

ナックス師が再び高知に来ると、私は続けて通うようになり、
ようやく信仰の糸口を開くに至った。
しかし、なお、講義所(教会の前身、当初、聖書講義所と称した)に行こうとはせず、師の宅での学びに参加していた。
講義所では、婦女子と席を同じくし、おかしな声で賛美歌を歌うと聞き、
私にはとても恥ずべきことと思われたのである。
その時私は密かに別に同志達と集会を持とうかとも考えていたが、
そのようなおかしな考えもいつしか消え失せ、
ついに明治十八年五月十五日、ナックス師よりバプテスマを受けるに至った。
長い年月、神に対し、人に対し、下げたことのなかった私の傲慢な頭も、
この日ついに聖なる水を被るに至った。神の愛もまた深いことである。




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とうとう、直寛さん、神様に捕らえられました016.gif
無神論をもって、宣教師と3日間討論したものの、論破されてしまいます(笑)
一体、どんな討論だったのでしょう?聞いてみたかったですね。

「主よ、私があなたと論じても、あなたの方が正しいのです。」 (エレミヤ書 12:1)


度々、面倒くさくなって行くのをやめようかと思った、などと
正直に告白していますが(笑)、
律儀に約束を守り通い続けます。
でも、自分で行っているかのようで、そうではないのです。
聖霊の働きなしには、助けなしには、できないことなんですね~。



ちなみに、この日、ともに洗礼を受けたのは、
片岡健吉、武市安哉、板垣鉾太郎ら13名。
この日をもって、高知教会創立となっています。
現在の、日本基督教団・高知教会の誕生です。
このとき、直寛は33歳。くしくも、イエス様と同じ年でした☆
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# by hokkaido-revival | 2010-11-22 19:13 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第二 私の青年時代と宗教に対する感想

第二 私の青年時代と宗教に対する感想
 
成長するにつれて、私は英学を志し、県立学校に進学し、
後に東京に遊学し、また帰郷して、立志社の学校に入り、
もっぱらミル、スペンサー等の書を研究した。
私は立志社の一員として、しきりに自由民権を唱え、
また好んで無神論を唱えた

当時の私の感想は次の通りである。
「宗教を以て国を建てようとするのは、実に愚かなことであり、
 哲学を以て国家の原則とすべきである」
このような考えを以て、まず始めに、家族から宗教を取り去ろうと、
偶像を汚し、神仏を悪く言うことで、痛快な気持ちになっていた。
また、祈祷札を踏みつけ、家族を迷信から目を醒まそうなどと試みたりもし、
家族の感情をひどく傷つけてしまった。

キリスト教に対しては、これは文明国の宗教ということで、
他の宗教よりは優れているのだろうと、漠然と考えていたが、
自分からこれを信じようとはしなかったし、これを研究しようという考えも全くなかった

私は、初めて立志社の学校でギリシャ正教の説教を聴いた。
私がここの生徒であった時、ギリシャ正教の師が学校に来て、
説教をした今思うにその説教は有神論のようであった。
その後、米国の宣教師・アッキンソンが高知に来て、立志社の講堂で説教したこともあった。
しかし当時の私は、政治改革を目的とし、
しきりに政治談義に熱中していた頃だったので、宗教などには関心を持たなかった



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というわけで、当時はもっぱら政治や哲学に熱中していた直寛さん。
初めてキリスト教に触れたのは、立志舎でのギリシャ正教の説教でした。
このギリシャ正教の師、確認できてませんが、
沢辺琢磨ではないかと思われます。
土佐の郷士出身で、龍馬や武市半平太とは親戚関係にありました。
江戸に遊学中、酔っ払って道端に落ちていた金時計を質に売ってしまい、
切腹させられるところを、龍馬と半平太に助けられ、
逃亡・脱藩した話は有名ですね。

函館に逃れ、ロシア正教会の司祭・ニコライと出会います。
ニコライをロシアのスパイと思い込んだ沢辺は、
殺害を企て殴りこみに行きますが、逆にニコライに
「なぜ、キリストの教えをよく知らないのに、邪教とするのか。
 よく研究してから、決めてもいいのではないか。」 と言われ、
3日間通い続け、とうとうこれを信じることを決心。
洗礼を受けて、後に日本人初の司祭となりました。

なんとも、不思議な巡り合わせですね001.gif 
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# by hokkaido-revival | 2010-11-21 20:48 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第一 私の幼少時及び教育のこと

第一 私の幼少時及び教育のこと

私が生まれたのは、高知県安芸群の一小村で、安田村と言う。
海と山に囲まれた村であった。
父の名は、高松順蔵、号を小野(しょうや)と称し、
儒学を修める一方で、詩歌をたしなむ人であった。
終生、儒教主義をもって、郷土の壮士を教えていた。
かの中岡慎太郎を始め、野根山事件に斃れた二十三烈士なども、
その多くが父の薫陶を受けた者である。

私は父の次男で、幼い時に母を亡くし、
十七歳の時に叔父・坂本龍馬の兄である権平の養子となった。
その頃は、特に宗教的な教育を受けたことはなかったが、
父や母に連れられて神社や寺に参詣したこともあった。
父は私に、神社にお参りする時は、この歌を唱えるようにと言った。
「あづさ弓 八幡の神の恵みにて 守らせたまえ 武士(もののふ)の道」
村の神社と言えば、八幡宮だったが、
私は特に信仰心があったわけではなく、
ただ父の言う通りに、この歌を唱えて、参拝していた。

幼少時の宗教に関することと言えば、それぐらいである。
信仰を養うような教育を受けたこともなかった。
しかし、道徳教育は、常に父より家庭の教訓を受けた。
父は常日頃から、忠孝烈士の史談を話して聴かせた。
また、夜には家族全員を集めて軍書・伝記の類を読み聞かせたりした。
私はいつもこれを聴いて、正人義士が主君のため、大義のために、
艱難に殉じ、また奸臣に殺され、
あるいは生き別れた親子が悲運に遭う話などを聴いては、
幼いながらも、悲しみ、痛み、憤りをおぼえ、布団をかぶって、ひそかに涙を流したりした。
このことは、今でもはっきりと覚えている。

また、私の性格も、大勢が賑やかに集まって遊ぶよりは、
むしろ、静かな山や海を散歩する方が好きで、今もこれは変わっていない。
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# by hokkaido-revival | 2010-11-21 20:08 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

『余が信仰之経歴』について

直寛の自伝・『余が信仰之経歴』 は、正編・続編に分かれています。

正編は、明治28年、メソジスト出版舎から。
続編は、明治42年、教文館から、それぞれ出版されています。

著作権が切れた現在、国立国会図書館のデジタルアーカイブポータル・PORTAで閲覧できます。

d0202231_19131865.jpg明治時代の格調高い文章です。
画像も荒いので、大変読みづらいです・・・f(^_^;)

一度、土井晴夫氏が現代語に訳して、
出版されたそうなのですが、
残念なことに、絶版となっております・・・(ToT)



というわけで、私のヘタクソな訳でもいいから、
現代語でてっとり早く読みたい!というお方は、
どうぞ、このブログでご愛読くださ~い(*^▽^*)






~目次~

≪正編≫ 直寛がキリスト教に初めて触れ、洗礼を受け、家族の迫害に遭いながらも、
たゆまず成長してゆく過程が、様々なエピソードとともに綴られています。


第一 余が幼時及教育

第二 余が青年時代と宗教に対する感想

第三 余が基督教を講究せし端緒

第四 余が受洗後の信仰及家族一同俄然聖霊の恩化を受し事
  
第五 余が幽囚と経練
 
第六 余が獄中の感想及書翰
 
第七 獄中の聖書類書及伝道並に附言

第八 余が第二の試惑

第九 其後に於ける余が家庭の喜憂

第十 余が政事上の思想
 
第十一 伝道上に於ける所感

第十二 余が神学及宗派に対する感情

第十三 余が小児大患に罹りし時の経験


≪続編≫いよいよ、北海道へ移住、精力的な伝道が始まります。
     特に、十勝監獄で起きたリバイバルのくだりは、感動の嵐です。
     涙なしには読めませんよ・・・。


第一 暴風中の航海

第二 予が第二の妻の病気及其死

第三 予が拓殖事業を発起したる元由

第四 予疾病に由て罪の事を感せし事

第五 予が北征及移民の困難

第六 予亡父の和歌によりて神恩を感ぜし事

第八 予が幼児実扶的亜に罹りし事

第七 予石狩国に居住を定めたる事

第九 予大洪水に罹りし事

第十 予が孤立及悪評

第十一 予が沈黙の期間

第十二 予が農村の生活

第十三 予再び社会に立し事

第十四 軍隊の伝道

第十五 監獄伝道の開始

第十六 旭川及十勝監獄のリバイバル

第十七 北見に於て聖霊の活動

第十八 十勝監獄に於る聖霊の指導

第十九 第四回十勝監獄の伝道及受洗者を多く出したる事

第二十 十勝監獄に於る第二回囚人のリバイバル

第二十一 十勝監獄に於る大挙伝道

第二十二 瀕死の病人祈祷に由て回生せし事


タイトル見ただけで、何かすごいことが色々あったんじゃないかと、
ドキドキしちゃいますね016.gif
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# by hokkaido-revival | 2010-11-20 19:18 | お知らせ