第五 私の投獄と試練(5)

第五 私の投獄と試練(5)


私達が既決監に移されて以来、寒気は段々と厳しくなり、
衣服は薄く、足袋もなく、夜明けに拍子木の音と共に起き、
茣蓙の上に正座して、少しの間も膝を崩してはならず、
私達は普段正座に慣れていなかったので、
膝が痛くなり、少しだけ膝を崩すと、獄吏に叱責された。

また、毎日当番を決めて、
監獄内の廊下から便所に至るまで拭き掃除をしなければならなかったが、
寒さの厳しい朝などは、床板の上に氷が張り、
雪が降れば、獄吏の靴についた雪も堅く凍り、
私達が当番の時は、その上を裸足で掃除しなければならず、
多くの者が、手足の指を腫らしていた。

私も最初の頃は、獄中の生活に慣れず、獄吏の叱責を度々受けた。
また、世で身につけた思想が抜けきらず
獄吏の足下に低頭し、厠の掃除をするなど、大いに不快を覚えた

しかし、そのような場合にあっても、
主があたかも側に立って、戒めて下さるかのように、
聖書のみことばが心の内に聞こえてくるのである。



『こういうわけで、このように多くの証人たちが、
雲のように私たちを取り巻いているのですから、
私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、
私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスはご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。
それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。
あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまでに抵抗したことがありません。
そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。

「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。
主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、
受け入れる全ての子に、むちを加えられるからである。」


訓練と思って耐え忍びなさい。
神はあなたがたを子として扱っておられるのです。
父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
もし、あなたがたが、だれでも受けるこらしめを受けていないとすれば、
私生児であって、ほんとうの子ではないのです。

さらにまた、私たちには、肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、
しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、
なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
なぜなら、肉の父親は、短い期間、
自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、
霊の父は、私たちの益のため、
私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、
かえって悲しく思われるものですが、
後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道をつくりなさい。
なえた足が関節をはずさないため、
いや、むしろ、いやされるためです。
すべての人との平和を追い求め、
また、聖められることを追い求めなさい。
聖くなければ、だれも主を見ることはできません。」
                     (ヘブル人への手紙 十二章一~十四節)





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まるで、ヨセフの物語ですね。
神様は、愛する子供を、苦しみや痛みを通して訓練し、
懲らしめを通してきよめられるのです。

後に、北海道の監獄を伝道するなど、
この時、誰が想像したでしょうか・・・?
神様のご計画は、はかり知れないほど、深いですね。
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# by hokkaido-revival | 2010-12-09 22:27 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第五 私の投獄と試練(4)

第五 私の投獄と試練(4)


前にも書いたように、
私は始めからこのような運命になるのではないかと予想していたが故に、
聖書を持って行ったのであるが、
監獄の規則はもとより、所有物は一切持ち込み厳禁であり、
聖書も他の物品と同じく、留置所に置いて来ざるを得なかった。

私は、既決監に移されると直ちに聖書の差し入れを願った ところ、
何の音沙汰もないので、再三願い出たが、やはり同じであった。
私は、この願いがきかれるのかどうか分からず、
自分は、キリスト教徒であり、聖書が自分に必要なものであるから、
ぜひその差し入れを許可してほしいとの書面をもって懇願したが、
取り次ぎの押丁は、私に向かって、囚人には必要ないと言い放ち、
ついに願いは叶わなかった。

後に、内務省の通達により、聖書の差し入れが禁止されたのを聞いた時は、
失望し、二年半もの間、まったく聖書を読めないとは、
この上ない不幸であると、大いに嘆いた。

しかし私は、まったく絶望の極みに陥ることはなく、
主は私の願いをきいてくださると信じ、日々聖書を与えて下さいと祈っていた。

私は受洗以来、この時ほど切に祈ったことはなかった。
主は、まことに私達の哀願を捨てられることなく、
程なくして、聖書の差し入れを許された。
私達の喜びはいかばかりであったことか。
私はどれほど神に感謝しただろうか。
言葉では言い表せない。

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# by hokkaido-revival | 2010-12-06 19:41 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第五 私の投獄と試練(3)

第五 私の投獄と試練(3)


こうして、私は警視庁の留置所に入れられることとなった。
この夜は、二回も呼び出されたが、特に厳しい寒さで、
自分の服は留置所に預けられ、青色の囚人服を着せられた。
これは、私の衣服を検査するためであったが、非常に寒さを覚えた。

私は、そのときの思いを詩にあらわした。
 
 寒天風起雁声愴 夢破単衾夜益長 
 獄吏呼来擁我去 一輪惨月白於霜

(寒空に風が吹き、雁の声が悲しく響く。 夢は衣を破り、夜は益々長い。
 獄吏は私を呼び、去らせようとする。  一条の差し込む月の光が霜よりも白い。)

夜明け頃、検事局より呼び出され、一応の取り調べを受け、
この日のうちに、軽罪裁判所に送られ、その夜公判にかけられ、
軽禁固二年六ヶ月、監視二年の刑に処せられた。
この晩は月が冴えわたり、肌身に突き刺すような寒気であった。

私は句を詠んだ。

 更に又 影も寒けく見ゆるかな 刑(つみ)なき庭の 冬の夜の月

かくして、翌二十八日には、他の同志達の共に、石川島の監獄に送られ、
翌年一月五日、囚人服を着せられ、髪を切られ、
髭を剃られて、既決監に移された。
その様は、以前、言論院に出頭し、権力者を訪問しては、
時事を論じた時とは、まったく違い、一厘の値もない純然たる囚人となってしまった
私達は互いを見て、思わず笑ってしまった。
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# by hokkaido-revival | 2010-12-04 15:49 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第五 私の投獄と試練(2)

第五 私の投獄と試練(2)


私達は同志を集め、協議していたが、
十二月二十六日の夕方過ぎ頃、
突然大勢の警官や憲兵が来て、私達の宿泊している宿を取り囲んだ。

私は、これは尋常ではないと思い、自室にこもって、静かに聖書を読んでいた。しばらくして、警官らが、私の部屋に入ってきて、
愛宕下の警察署より出頭命令が出ていることを告げた。
私は、ただちに聖書を持って、彼らに従って行った。(このとき、私が聖書を持って行ったのは、
再び帰ってくることができないかもしれないと考えたからである。)

警察署に着くと、同じ宿に泊まっていた同志達が何人かいた。
一人づつ警官の前に呼び出され、退去の命令書を渡された。
見てみると、保安条例により、二年半の退去を命ずる、と書かれていた。
私が、何の理由があって我々を退去させるのかと尋ねると、
その警官は、理由を説明する必要はない、
命令を受けるのか、受けないのか、とだけ言った。
私は、理由も分からずに退去するなどできない、と答えた。
すると、彼は、警視庁二局に行け、と言い、
私を別の場所に移し、縄で縛った上で、
二人の警官を前と後ろに置いて、警視庁に連行した。

途中、鹿鳴館を通り過ぎた。
大臣等が意気揚々として舞踏会を催し、遊興にふけっており、
その声はまるで、自分たちの安泰を誇示しているかのように聞こえてきた。
警視庁に着くと、あたかも、主イエスが捕らわれた夜、
祭司長宅の中庭で人々が焚き火をして集まっていたように、
警視庁の小間使いとおぼしき者達が火を囲んで暖をとっているのを見た。


私は、事務室に連れて行かれ、何故退去命令に従わないのかと尋問を受けた。
私は、そもそも保安条例なるものを知らない、と答えた。
警官は、保安条例は昨日(安息日=日曜日)発布されたと説明し、
その写しを私に示した。
しかし、私はもともと、治安を害する意図はなく、
ただ言論をもって平和に政府に陳情したいだけであって、
治安を妨害すると言われて、これに易々と従うのは、納得がいかない、と言った。
我々の建白書はすでに元老院に提出していたし、
毎日権力者を訪ねては、意見を述べていたので、
政府も我々の志を承知していただろう。
我々は、何も他意はない、それなのに、
我々が治安を妨害すると見なされ、
退去するのは、良心に背くことになる、と。
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# by hokkaido-revival | 2010-12-03 18:26 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第五 私の投獄と試練(1)

第五 私の投獄と試練(1)

明治二十年十月、私は、
三大事件として政界の輿論を呼び起こした問題について、
建白総代の一人に選ばれて上京することとなった。

私は教会の兄弟姉妹にも、建白の主旨を告げ、
別れのことばを述べ、互いに祈って、別れた。

上京する前日、村上氏(以前、母に小冊子を渡した魚売り)が訪ねて来て、
私の上京にあたり、ヤコブ書一章二~三節を読んで欲しいと言った。
 
 『私の兄弟たち。様々な試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
 信仰がためされると、忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。』
                         (ヤコブの手紙 一章二~三節)          


私は、片岡氏等とともに、他の同志達より先に上京しようと思い、
同月十九日、浦戸港に行ったが、天気が良くないので、
出港することがかなわず、家に帰った。
同じく、二十一日に出港したが、やはり天候が悪く、須崎港に寄り、
翌二十二日、出港した。

しかし、この日もまた天気が一層悪く、波が激しかったので、
再び須崎港に戻ることとなった。二十三日、
波が静まるのを待って、同港を出帆した。
この時私は、自分達の前途もこのように困難なものになると予感した。

そうして、二十七日には、東京に着き、全国から集まってきた有志者と議論し、
また、元老院に出頭したり、権力者を訪ねて建白の主旨を述べたりした。
時の総理大臣・伊藤伯(伊藤博文)は東京にはいなかったので、
私達は彼の帰京を待って、面会し、談判しようと決めた。
総理大臣は程なく帰京した。
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# by hokkaido-revival | 2010-12-02 20:43 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5