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第五 私の投獄と試練(8)

第五 私の投獄と試練(8)

私は、毎日、監獄の庭で一時間の運動を許されたが、
雪の降る日などは、とても寒く、手を振ったり走ったりして、
ようやく少しは体が温まった。
しかし、運動すると、今度は大いに空腹を感じ、これには少々困った。
一日雪の中を歩き、寒気が手足に突き刺すように感じ、
同囚の友人にこのような歌を詠んで聞かせた。

   雪虐霜酸痩骨寒し  楚囚猶有り寸心丹
   天皇賜う所啻に恵服のみならんや  又光児をして万艱に耐えしむ

ある夜にまた感じるところがあり、左の一絶を賦した。

  説かず陰房窮と愁え  刑余別に主恩の優有るなり
  痛心断えんと欲す凄風の夕べ  一片の清光楚囚を照らす

私たちが投獄されたのは、もとより良心のゆるすところであり、
獄中における多少の艱難は、覚悟していたのだが、
気の毒に思ったのは故郷に残してきた一人の老母と、妻子たちである。
連絡を取るごとに、彼らを慰め励ますことに努めた。
ある時私は、妻に送ろうと歌を詠んだ。

 説くことを休めよ阿郎縲絏の艱  刑餘幸いに主神の恩に浴す
 君に勧忘るる勿れ光児の志   聖婦の美名郭門に高し

この結句は、箴言三十一章末節
(箴言31:28~31 
息子らは立って彼女を幸いな人と呼び、夫は彼女をたたえて言う。
「有能な女は多いが、あなたはなお、そのすべてにまさる」と。
あでやかさは欺き、美しさは空しい。
主を畏れる女こそ、たたえられる。
彼女にその手の実りを報いよ。
その業を町の城門でたたえよ。」)


から引用したものである。

またある日は、老母を思い出して詠んだ。

 恩み(めぐみ)もて慰め給へ 天の神 憂きに沈める母の心を
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by hokkaido-revival | 2010-12-30 15:22 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第五 私の投獄と試練(7)

第五 私の投獄と試練(7)

そうして私は自分を慰め、このような歌を詠んで日々を過ごした。

  百敗酸を嘗めて業漸く成る  一磋豈なんぞ蒼々を憾みんや
  赭衣恥を含みて魂を磨くの後  却って囚人をして世光を補せしむ

また、便所掃除をする時などは、初めのうちは甚だ苦痛を感じたものだが、
主キリストが天の聖なる御座から罪の世に降って来られ、
ガリラヤの漁夫の子らの足を洗われ、
私達に模範を示された
ことを思い起こせば、不快に感じることも軽減された。

この王の王であられるお方は、
人が忍ぶことができない屈辱を忍び、
耐えられない苦痛を耐え、人には到底及ばないへりくだりをなされたのだ。


私などは、尊い身分でもなく、地位があるわけでもない。
それだというのに、人に怒り、人を軽んじ、
自分を高くする傲慢な考えが無くならない。

どうして、キリストのみこころにかなうことができよう。
主は神の子でありながら、罪人の足を洗われたのだ。
私は同志の使う便所を洗うことぐらい、何を嫌がることがあろうか、
と思えば、耐えることができた。
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by hokkaido-revival | 2010-12-30 15:12 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

直寛作詞の賛美歌

信仰の人・坂本直寛。
投獄中も、ことあるごとに、詩を詠み、句をつくり、
神様をほめたたえました。

晩年、直寛は、賛美歌を作詞しています。

それは、明治42年4月7日のことでした。
所用で仙台に行った帰り、
青森行きの電車に乗った直寛を、突如暴風が襲います。
9両編成の車両は、先頭から3番目の郵便車と、
4両目の客車が転落。2両の客車が脱線しました。
幸い、直寛の乗っていた一等車は6両目にあたり、
転落を免れて横転しただけでした。

直寛は、大惨事から守られたことを
「神の奇しき摂理」と感謝し、旭川に帰る車中で、この曲を作詞しました。


① 妙なるみたまの神のわざは 筆にも言にも尽くしがたし

② エホバの使は我を守り 髪一筋も失せざらしむ

③ 雀さへ守る父の御手は いかでか我が身を守らざらん

④ 我が神エホバの我にたまふ こよなき御恵みいかで報いん

⑤ 我世を去るまで身を捧げて くすしき恵みを証し伝へん

⑥ イエス君の外に救いは無し もろびとこぞりてほめたたえよ



『讃美歌』79番(現行『讃美歌』では139番、『讃美歌21』では298番)の
「ああ主は誰がため世にくだりて」 の曲に合わせて、
この惨事を回想するごとに、歌っていたそうです。
直寛の葬儀でも、この曲が歌われました。

(出典:『龍馬の甥 坂本直寛の生涯』 土居晴夫 P.253~254)

こちらの伴奏に合わせて、歌ってみてください♪♪♪





ちなみに、この讃美歌は、
「イギリス讃美歌の父」と称されるアイザック・ウオッツによって、
つくられました。

英語の題は、 『Alas, and did my Saviour bleed』
「ああ!我が救い主は血を流された」という意味です。
日本語の歌詞はコチラ。

1 ああ主は誰(た)がため 世にくだりて、
  かくまでなやみを うけたまえる。

2 わがため十字架に なやみたもう
  こよなきみめぐみ はかりがたし。

3 とがなき神の子 とがを負えば、
  てる日もかくれて やみとなりぬ。

4 十字架のみもとに こころせまり、
  なみだにむせびて ただひれふす。

5 なみだもめぐみに むくいがたし、
  この身をささぐる ほかはあらじ。



数多くの讃美歌を世に残したファニー・クロスビーが、この曲で
魂を突き刺されるような衝撃を受け、神様に献身を誓ったといわれています。
詳しくはコチラを
讃美歌138番 「ああ主は誰がため」

直寛の信仰の生涯を思い、
彼の人生にあらわされた素晴らしい神様の御業の数々を思い、
何よりも、私たちの罪のために十字架にかかってくださった
主イエス様の愛を思って、
讃美してみてください(*^_^*)
天国にいる心地がしますよ☆☆☆
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by hokkaido-revival | 2010-12-23 23:51 | 直寛にまつわるお話  

第五 私の投獄と試練(6)

第五 私の投獄と試練(6)


「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、
神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、
それは喜ばれることです。
罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、
何の誉れになるでしょう。
けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、
それは、神に喜ばれることです。
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、
あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、
正しく裁かれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、
今は、自分のたましいの牧者のであり監督者である方のもとに帰ったのです。」
                   
                                 (ペテロの手紙Ⅰ 二章十九~二十五節)



このようなみことばは、実に私を励まし、慰め、
また私の傲慢を挫き、へりくだりを学ばせてくれた。

また、はずかしめを感じる時、
主は直ちに主ご自身がはずかしめを耐えられたことを覚えさせて下さり、
キリストが栄えを捨て、罪人の中に来て下さったこと、
ご自身は何の罪もなかったのに、祭司長・学者たちの手に渡され、
嘲られ、鞭打たれ、緋色の衣を着せられ、いばらの冠をかぶせられ、
罪人とともに十字架に釘付けられたことを思い起こさせて下さった。


主がこのような苦しみを受けられたのなら、
私たちが、最も賤しい僕として赭衣(罪人が着る赤い衣)を着せられ、
獄吏に叱責され、他の囚人達と一緒くたにされることが、
いったい何だというのか。

昔から、神を敬い、国を愛する偉人たちの多くは、
皆、艱難辛苦を嘗め、試練を経て後、業を成し遂げるのである。
このことを思えば、私たちが投獄されたことなどは、
実に九牛の一毛(取るに足らない小さなこと)ほどの試みだと言わざるを得ない。
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by hokkaido-revival | 2010-12-20 20:14 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第五 私の投獄と試練(5)

第五 私の投獄と試練(5)


私達が既決監に移されて以来、寒気は段々と厳しくなり、
衣服は薄く、足袋もなく、夜明けに拍子木の音と共に起き、
茣蓙の上に正座して、少しの間も膝を崩してはならず、
私達は普段正座に慣れていなかったので、
膝が痛くなり、少しだけ膝を崩すと、獄吏に叱責された。

また、毎日当番を決めて、
監獄内の廊下から便所に至るまで拭き掃除をしなければならなかったが、
寒さの厳しい朝などは、床板の上に氷が張り、
雪が降れば、獄吏の靴についた雪も堅く凍り、
私達が当番の時は、その上を裸足で掃除しなければならず、
多くの者が、手足の指を腫らしていた。

私も最初の頃は、獄中の生活に慣れず、獄吏の叱責を度々受けた。
また、世で身につけた思想が抜けきらず
獄吏の足下に低頭し、厠の掃除をするなど、大いに不快を覚えた

しかし、そのような場合にあっても、
主があたかも側に立って、戒めて下さるかのように、
聖書のみことばが心の内に聞こえてくるのである。



『こういうわけで、このように多くの証人たちが、
雲のように私たちを取り巻いているのですから、
私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、
私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスはご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。
それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。
あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまでに抵抗したことがありません。
そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。

「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。
主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、
受け入れる全ての子に、むちを加えられるからである。」


訓練と思って耐え忍びなさい。
神はあなたがたを子として扱っておられるのです。
父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
もし、あなたがたが、だれでも受けるこらしめを受けていないとすれば、
私生児であって、ほんとうの子ではないのです。

さらにまた、私たちには、肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、
しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、
なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
なぜなら、肉の父親は、短い期間、
自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、
霊の父は、私たちの益のため、
私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、
かえって悲しく思われるものですが、
後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道をつくりなさい。
なえた足が関節をはずさないため、
いや、むしろ、いやされるためです。
すべての人との平和を追い求め、
また、聖められることを追い求めなさい。
聖くなければ、だれも主を見ることはできません。」
                     (ヘブル人への手紙 十二章一~十四節)





****************************

まるで、ヨセフの物語ですね。
神様は、愛する子供を、苦しみや痛みを通して訓練し、
懲らしめを通してきよめられるのです。

後に、北海道の監獄を伝道するなど、
この時、誰が想像したでしょうか・・・?
神様のご計画は、はかり知れないほど、深いですね。
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by hokkaido-revival | 2010-12-09 22:27 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第五 私の投獄と試練(4)

第五 私の投獄と試練(4)


前にも書いたように、
私は始めからこのような運命になるのではないかと予想していたが故に、
聖書を持って行ったのであるが、
監獄の規則はもとより、所有物は一切持ち込み厳禁であり、
聖書も他の物品と同じく、留置所に置いて来ざるを得なかった。

私は、既決監に移されると直ちに聖書の差し入れを願った ところ、
何の音沙汰もないので、再三願い出たが、やはり同じであった。
私は、この願いがきかれるのかどうか分からず、
自分は、キリスト教徒であり、聖書が自分に必要なものであるから、
ぜひその差し入れを許可してほしいとの書面をもって懇願したが、
取り次ぎの押丁は、私に向かって、囚人には必要ないと言い放ち、
ついに願いは叶わなかった。

後に、内務省の通達により、聖書の差し入れが禁止されたのを聞いた時は、
失望し、二年半もの間、まったく聖書を読めないとは、
この上ない不幸であると、大いに嘆いた。

しかし私は、まったく絶望の極みに陥ることはなく、
主は私の願いをきいてくださると信じ、日々聖書を与えて下さいと祈っていた。

私は受洗以来、この時ほど切に祈ったことはなかった。
主は、まことに私達の哀願を捨てられることなく、
程なくして、聖書の差し入れを許された。
私達の喜びはいかばかりであったことか。
私はどれほど神に感謝しただろうか。
言葉では言い表せない。

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by hokkaido-revival | 2010-12-06 19:41 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第五 私の投獄と試練(3)

第五 私の投獄と試練(3)


こうして、私は警視庁の留置所に入れられることとなった。
この夜は、二回も呼び出されたが、特に厳しい寒さで、
自分の服は留置所に預けられ、青色の囚人服を着せられた。
これは、私の衣服を検査するためであったが、非常に寒さを覚えた。

私は、そのときの思いを詩にあらわした。
 
 寒天風起雁声愴 夢破単衾夜益長 
 獄吏呼来擁我去 一輪惨月白於霜

(寒空に風が吹き、雁の声が悲しく響く。 夢は衣を破り、夜は益々長い。
 獄吏は私を呼び、去らせようとする。  一条の差し込む月の光が霜よりも白い。)

夜明け頃、検事局より呼び出され、一応の取り調べを受け、
この日のうちに、軽罪裁判所に送られ、その夜公判にかけられ、
軽禁固二年六ヶ月、監視二年の刑に処せられた。
この晩は月が冴えわたり、肌身に突き刺すような寒気であった。

私は句を詠んだ。

 更に又 影も寒けく見ゆるかな 刑(つみ)なき庭の 冬の夜の月

かくして、翌二十八日には、他の同志達の共に、石川島の監獄に送られ、
翌年一月五日、囚人服を着せられ、髪を切られ、
髭を剃られて、既決監に移された。
その様は、以前、言論院に出頭し、権力者を訪問しては、
時事を論じた時とは、まったく違い、一厘の値もない純然たる囚人となってしまった
私達は互いを見て、思わず笑ってしまった。
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by hokkaido-revival | 2010-12-04 15:49 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第五 私の投獄と試練(2)

第五 私の投獄と試練(2)


私達は同志を集め、協議していたが、
十二月二十六日の夕方過ぎ頃、
突然大勢の警官や憲兵が来て、私達の宿泊している宿を取り囲んだ。

私は、これは尋常ではないと思い、自室にこもって、静かに聖書を読んでいた。しばらくして、警官らが、私の部屋に入ってきて、
愛宕下の警察署より出頭命令が出ていることを告げた。
私は、ただちに聖書を持って、彼らに従って行った。(このとき、私が聖書を持って行ったのは、
再び帰ってくることができないかもしれないと考えたからである。)

警察署に着くと、同じ宿に泊まっていた同志達が何人かいた。
一人づつ警官の前に呼び出され、退去の命令書を渡された。
見てみると、保安条例により、二年半の退去を命ずる、と書かれていた。
私が、何の理由があって我々を退去させるのかと尋ねると、
その警官は、理由を説明する必要はない、
命令を受けるのか、受けないのか、とだけ言った。
私は、理由も分からずに退去するなどできない、と答えた。
すると、彼は、警視庁二局に行け、と言い、
私を別の場所に移し、縄で縛った上で、
二人の警官を前と後ろに置いて、警視庁に連行した。

途中、鹿鳴館を通り過ぎた。
大臣等が意気揚々として舞踏会を催し、遊興にふけっており、
その声はまるで、自分たちの安泰を誇示しているかのように聞こえてきた。
警視庁に着くと、あたかも、主イエスが捕らわれた夜、
祭司長宅の中庭で人々が焚き火をして集まっていたように、
警視庁の小間使いとおぼしき者達が火を囲んで暖をとっているのを見た。


私は、事務室に連れて行かれ、何故退去命令に従わないのかと尋問を受けた。
私は、そもそも保安条例なるものを知らない、と答えた。
警官は、保安条例は昨日(安息日=日曜日)発布されたと説明し、
その写しを私に示した。
しかし、私はもともと、治安を害する意図はなく、
ただ言論をもって平和に政府に陳情したいだけであって、
治安を妨害すると言われて、これに易々と従うのは、納得がいかない、と言った。
我々の建白書はすでに元老院に提出していたし、
毎日権力者を訪ねては、意見を述べていたので、
政府も我々の志を承知していただろう。
我々は、何も他意はない、それなのに、
我々が治安を妨害すると見なされ、
退去するのは、良心に背くことになる、と。
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by hokkaido-revival | 2010-12-03 18:26 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第五 私の投獄と試練(1)

第五 私の投獄と試練(1)

明治二十年十月、私は、
三大事件として政界の輿論を呼び起こした問題について、
建白総代の一人に選ばれて上京することとなった。

私は教会の兄弟姉妹にも、建白の主旨を告げ、
別れのことばを述べ、互いに祈って、別れた。

上京する前日、村上氏(以前、母に小冊子を渡した魚売り)が訪ねて来て、
私の上京にあたり、ヤコブ書一章二~三節を読んで欲しいと言った。
 
 『私の兄弟たち。様々な試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
 信仰がためされると、忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。』
                         (ヤコブの手紙 一章二~三節)          


私は、片岡氏等とともに、他の同志達より先に上京しようと思い、
同月十九日、浦戸港に行ったが、天気が良くないので、
出港することがかなわず、家に帰った。
同じく、二十一日に出港したが、やはり天候が悪く、須崎港に寄り、
翌二十二日、出港した。

しかし、この日もまた天気が一層悪く、波が激しかったので、
再び須崎港に戻ることとなった。二十三日、
波が静まるのを待って、同港を出帆した。
この時私は、自分達の前途もこのように困難なものになると予感した。

そうして、二十七日には、東京に着き、全国から集まってきた有志者と議論し、
また、元老院に出頭したり、権力者を訪ねて建白の主旨を述べたりした。
時の総理大臣・伊藤伯(伊藤博文)は東京にはいなかったので、
私達は彼の帰京を待って、面会し、談判しようと決めた。
総理大臣は程なく帰京した。
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by hokkaido-revival | 2010-12-02 20:43 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5