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第四 受洗後の信仰と家族一同にわかに聖霊の恵みを受けたこと(4)

第四 受洗後の信仰と家族一同にわかに聖霊の恵みを受けたこと(4)

『イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。
そこは、かつて水をぶどう酒にされた所で
ある。さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がした。
この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、
イエスの所へ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。
息子が死にかかっていたからである。
そこで、イエスは彼らに言われた。
「あなた方はしるしと不思議を見ない限り、決して信じない。」
その王室の役人はイエスに言った。
「主よ、どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」
イエスは彼に言われた。
「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」
その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。
彼が下って行く途中、そのしもべ達が彼に出会って、
彼の息子が直ったことを告げた。
そこで、子どもが良くなった時刻を彼らに尋ねると、
「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。
それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と
同じであることを知った。
そして彼自身と彼の家の者が皆信じた。』
(ヨハネによる福音書 四章四六~五三節)


その時間がぴったり合ったこと、私が祈っていた時刻と、
母が本を受け取った時刻が一致することを思うと、
実に不思議なことである。
また、ルカ伝十八章には、このような話もある。

 『まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、
いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。』
(ルカによる福音書 十八章七節)



聖書は人を欺くことがないとは、このようなことであったと悟り、
私が久しく祈ってきたことは無駄ではなかったのだ。
神はついに、私の家族全員を救い、信仰の家庭として下さった。
彼らは私が受洗して後、十ヶ月あまりのうちに、ことごとく受洗するに至った。

主の愛の深いこと、いかばかりであろうか。
私のような傲慢で無神論者の罪人をも、なお忍耐して下さり、
かつての大罪を見過ごし、救いの道、真理の道に導いて下さり、
また、かたくなな老母をはじめとして、家族全員に厚い恵みをくだして下さり、
ことごとく主の福音にあずからせて下さったのだ。
感謝せずにおられるだろうか。

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by hokkaido-revival | 2010-11-30 18:50 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

龍馬を切った男・今井信郎

『龍馬伝』、とうとう最終回を迎えましたね。
暗殺される直前、中岡慎太郎に自分の夢を語る龍馬。
「蝦夷地を開拓したい」という言葉に、思わず涙・・・(;_;)
龍馬の志は、後に甥の直寛や一族によって、成し遂げられます。

さて暗殺の実行犯と言われている京都見廻組の今井信郎
(実際の黒幕は、今もって謎とされていますが・・・。)
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彼は、明治維新後、静岡県榛原郡初倉村
(現・静岡県島田市)に入植し、
お茶の栽培をしたり、
村長をつとめたりしました。









しかし、村にあったキリスト教会を、非常に忌み嫌い、
宣教師を殺害しようと目論見ます。
殺害する前に彼らの読んでいる聖書を読んでおこう、と
漢訳の聖書を取り寄せました。
読んでみたものの、さっぱり意味が分からず、
こんな馬鹿げたことを信じている者を切る必要もない、と思い直しました。

その後、横浜に行った時、横浜海岸教会稲垣信牧師のメッセージを聞きます。
稲垣もまた、元・上田藩士、武士の出でありました。
稲垣の語るキリストの教えに心を打たれた今井は、
自分は間違っていた、と悔い改め
静岡に戻り、洗礼を受けます。

それからの彼は、温厚で優しい人となり、
79歳で亡くなるまで、村のために尽くし、
村民からとても愛され、尊敬されたそうです。

また、高知でおこなわれた龍馬の法要にも招待され、
高松太郎(=坂本直。龍馬の甥、直寛の実兄。元・海援隊士)と和解した
というエピソードも残っています。

龍馬を切った男と、龍馬の遺族が、
維新後ともに、キリストを信じ、和解するとは・・・神様はなんと不思議をなさる方でしょう
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ここらへんの歴史は、
守部善雅氏の『聖書を読んだサムライたち』、『日本宣教の夜明け』に詳しく書かれています。

聖書を読んだサムライたち もうひとつの幕末維新史

守部喜雅 / いのちのことば社


日本宣教の夜明け―47都道府県それぞれの物語

守部 喜雅 / マナブックス



CGNTVでも紹介されました。どうぞ、ご覧下さい!
    ↓ 
CGNTV 文化・メディア 『龍馬を切った男』
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by hokkaido-revival | 2010-11-29 22:53 | 直寛をとりまく人々  

北の龍馬たち 坂本直道物語

Asahi.com で、 『北の龍馬たち 坂本直道物語』 
が連載されています。

直道は、直寛の長男です。
東京帝国大学卒業後、南満州鉄道株式会社に就職。
後に、パリに駐在、日本とフランスの文化交流に尽力しました。
日米関係が悪化する中、
「日米国交調整の急務とその対策私見」をまとめ、
外相・松岡洋右に提出し、日米開戦反対を訴えました。
昭和16年に、坂本龍馬家の家督相続、同家を復興しました。

また、  『北の龍馬たち 坂本家の人びと』 では、
直寛をはじめ、坂本直や坂本直行も紹介されています。

コチラをどうぞご覧下さい♪


Asahi.com  マイタウン北海道

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by hokkaido-revival | 2010-11-26 22:53 | 直寛をとりまく人々  

第四 受洗後の信仰と家族一同にわかに聖霊の恵みを受けたこと(3)

第四 受洗後の信仰と家族一同にわかに聖霊の恵みを受けたこと(3)

奇妙なことに、翌日帰宅すると、
昨日まであれほどキリスト教を忌み嫌っていた母が
私に神のことを教えてくれと言うのである。


私は大変驚いて、どうしてそのようなことを言うのかと尋ねると、
母が言うには、昨日の朝、村上氏(キリスト信者であり、魚売りである)が
我が家に魚を売りに来て、この本を読みなさいと言って置いていったのだそうだ。
(この本とは、十戒を易しく解説した小冊子である)
自分はそのとき読む気もしなかったのだが、
ふと、とって見てみると、これを捨ててはいけない、と思い、
ついに全部読んでしまった。
読み終わると、まことに罪を恐れる思いが心に湧いてきた。
私に質問してきたのは、すなわちその本の中の理解できない箇所についてだったのだ。
この時の私の喜びはどれほどだっただろう。私は翌日、その村上氏を呼んで、ともに聖書を開き、祈った。
この夜、家族一同、皆が、とても感動していたようであった。

翌朝、母が私に言うには、
「昨夜遅くに、夢から覚めて寝付けないまま、ひたすら神のことを思っていた。
夜が明けるにつれ、次第に信仰心が起きてきた。
今日、小児(直寛の子)を連れて学校に行くから、
私が留守の間に偶像の札を壊してくれ。」と。

私は、家族に命じて偶像の札を全て持って来させ、
これらを割って、湯を沸かす薪とし、母や家族にその湯に入らせた。
私は、後に村上氏が母に本を渡した時間を尋ねると、
それはちょうど私が秋山で涙ながらに祈っていた時刻であったことを知った。




**********************************

すごいですねっ005.gif
直寛の涙の祈りを、神様は聞いてくださったのですね。
しかも、祈っていた時刻とぴったり同時に、
お義母さんが伝道されていました!
一つのしるしを与えて下さったんですね~。

あきらめずに祈ってゆこう、と励まされますね016.gif
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by hokkaido-revival | 2010-11-25 20:21 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第四 受洗後の信仰と家族一同にわかに聖霊の恵みを受けたこと(2)

第四 受洗後の信仰と家族一同にわかに聖霊の恵みを受けたこと(2)


『私のために人々があなたがたをののしり、迫害し、
ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなた方は幸いです。』
(マタイによる福音書 五章十一節)

 『さらに、家族の者がその人の敵となります。』
(マタイによる福音書 十章三十六節)



私は信仰の始めから、これらのみことばが真実であることを体験した。
友人の中には私を悪く言う者もあったが、
私が最も悲しかったのは、家族のことである。
私の養母は、頑固に偶像を信じ、キリスト教を非常に忌み嫌っていた
私は安息日には、ことさら心を痛めた。
家族の誰一人としていまだに神を知らずに聖日を汚す有り様を
目にしなければならなかったからだ。

しかし私は、反対されるたびに、かえって神を深く思い、大いに信仰が増していった。
私はすでにこの道に自分自身を捧げていた。
家族を導かずには平安がなかった。

ところが、養母などは、偶像を迷信しており、彼女を導くのは容易ではなかった。
ある日、私は何としても彼女を導こうと思い、一冊の本を見せたが、
不幸にもその本は偶像を拝む者を殺した者の話で、
かえって母の感情を害してしまい、ますます神を忌み嫌うようになってしまった。

私はとても後悔した。
そして、しばらく機会が訪れるのを待つべきであると考え、
あえて勧めるようなことはせず、密かに神に祈ることのみ努めた。

数ヶ月後、私は秋山という地に伝道に出かけた。
秋山には、主にある兄弟・細川義昌氏がいて、私は彼の家に泊まったのだが、
彼の家族は皆、既に主の民となっていた。
私はこれを見て、大変羨ましく思った。
翌朝早く起きると、雨がしとしとと降っており、何となく物憂い感じがした。
自分の家族がいまだに救われていないことを思うと、非常に心が痛み、
密かに涙を呑んで神に祈りを捧げた。




***************************

今回のお話は、特に、家族の反対や迫害に遭っている兄弟姉妹に
贈りたいと思います。(=^_^=)

直寛さんの信仰が、迫害の中でますます熱くなり、深くなっていったことは、
本当に励まされますね~。

真実な涙の祈りを、神様は必ずきいて下さいます。

私のために迫害されるとき、誤解されるとき、ののしられるとき、
あなた方は幸いです、という主のみことばを信じて、
あきらめずに、愛を持って、家族のために祈ってゆきましょう☆

次回、帰宅した直寛さんを待っていたのは・・・・!?
乞うご期待!
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by hokkaido-revival | 2010-11-24 23:22 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第四 受洗後の信仰と家族一同にわかに聖霊の恵みを受けたこと(1)

第四 受洗後の信仰と家族一同にわかに聖霊の恵みを受けたこと(1)

今思えば、私が洗礼を受けたことは、非常に危険なことであった。
私の信仰は実に薄弱なもので、人前で祈ることもできず、
家にいても、真実な祈りができなかったくらいである。
私が洗礼を受けたのは、福音的に神を信じたというよりも、
むしろ理論的に信じ、社会的にキリスト教を受け入れたからだ。

およそ世間でバプテスマを受ける人は、
すでに祈ることができるようになって、洗礼を受けるのが常である。
しかし、私は受洗後に至って、努めて祈ることを始めたのである。

また私は、生来大変な大酒飲みと言われる程、酒を飲んだのだが、
受洗の時も、師から格別酒について聞くこともなかったので、
受洗後も酒を断つことは全くなかった。
たしかに、かつてと比べれば、多少飲む量は減ってはいた。

しかし、ある夜、酒を少し飲んだところ、突然腹痛に襲われた
これはとても不思議なことであった。
私は以前酒を大量に飲んだ時ですら腹痛になったことなどなかったからだ。

次の日、再び少量の酒を飲んでみた。
すると不思議なことに、再び腹痛にみまわれた

こうなって私は大いに感じるところがあって、これから後、断固として禁酒することとなった。

 『霊の父は、私たちの益のため、
私たちをご自分の聖さにあずからせようとして懲らしめるのです。』
(ヘブル人への手紙 十二章十節)


右に述べたように、私の信仰は実に微弱なものではあったが、
神は私をつまずかせることなく、少しずつ信仰を養って下さったのである




*********************************

この話を読んだ時、思わず吹き出してしまいました。
なぜって、シオンチャーチに、これと非常によく似た体験をした方が
いらっしゃる
からです。
神様のもとに帰ってきてから、
あれほど飲んでいたお酒を飲むと、飲めなくなっているのです。
タバコを吸えば、じんましんが出て、気持ち悪くなってしまうのです。
癒されてたんですね~。

ですから、直寛さんに起きたことが単なる偶然ではないと分かります。
主は生きておられますね☆
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by hokkaido-revival | 2010-11-23 13:54 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第三 私がキリスト教を求道するようになった経緯

第三 私がキリスト教を求道するようになった経緯

板垣退助伯がイギリスより帰国すると、
キリスト教が欧米文明諸国で勢力があると聞き、
これを広めるのは外交上最も都合が良い政略となると思いはしたが、
自らこれを信じようという気持ちは依然として起きなかった。

たまたま、フルベッキタムソン両宣教師が高知に来た時、その説教を聞いた。
続いて、ナックスミロー両宣教師が高知で伝道を始めた際、
私は彼らと交際するようになり、その教理を知りたいという思いを持ち始めた
しかし、私は、ただ外国人だからといって、むやみにその説に同調するのを快しとせず、
もっぱら無神哲学を調べて、これと論議した。
日本人のうちには、外国人というだけで心服することはなくても、
表面上は彼らの言うことに同意して、交際する者が多いことを、軽蔑していたからだ。

私は、ナックス師と三日程議論した。
私はついに彼に論破され、聖書の学びに参加すると約束する羽目になった。

これ以後、聖書を調べ、あるいは神学の大意を聴くこととなった。
しかし、いまだにキリスト教を信じようという気持ちが起きなかったので、
雨の夜などは、師の宿泊する旅館に行くことが甚だ面倒で、
度々怠けて行くのをやめようとした時もあった。
しかし、一度外国人と約束した以上は、
これに背いて怠るようなことがあっては、日本人の信用を失うこととなる

従来、日本人が外国人の信用を失うのは、約束を破るからである。
と思い、私は努めて師の宅に行っては、この道を講究した。

これが、私が神に近づくこととなった始まりである。
私は、聖書を読み、キリストの説く戒めには、早くから感服していたが、
その奇跡に至っては、容易に疑いを解くことができなかった。
しかし、植村正久氏が高知に来た時には、私は氏について、聖書の講義を聴いた。

ナックス師が再び高知に来ると、私は続けて通うようになり、
ようやく信仰の糸口を開くに至った。
しかし、なお、講義所(教会の前身、当初、聖書講義所と称した)に行こうとはせず、師の宅での学びに参加していた。
講義所では、婦女子と席を同じくし、おかしな声で賛美歌を歌うと聞き、
私にはとても恥ずべきことと思われたのである。
その時私は密かに別に同志達と集会を持とうかとも考えていたが、
そのようなおかしな考えもいつしか消え失せ、
ついに明治十八年五月十五日、ナックス師よりバプテスマを受けるに至った。
長い年月、神に対し、人に対し、下げたことのなかった私の傲慢な頭も、
この日ついに聖なる水を被るに至った。神の愛もまた深いことである。




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とうとう、直寛さん、神様に捕らえられました016.gif
無神論をもって、宣教師と3日間討論したものの、論破されてしまいます(笑)
一体、どんな討論だったのでしょう?聞いてみたかったですね。

「主よ、私があなたと論じても、あなたの方が正しいのです。」 (エレミヤ書 12:1)


度々、面倒くさくなって行くのをやめようかと思った、などと
正直に告白していますが(笑)、
律儀に約束を守り通い続けます。
でも、自分で行っているかのようで、そうではないのです。
聖霊の働きなしには、助けなしには、できないことなんですね~。



ちなみに、この日、ともに洗礼を受けたのは、
片岡健吉、武市安哉、板垣鉾太郎ら13名。
この日をもって、高知教会創立となっています。
現在の、日本基督教団・高知教会の誕生です。
このとき、直寛は33歳。くしくも、イエス様と同じ年でした☆
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by hokkaido-revival | 2010-11-22 19:13 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第二 私の青年時代と宗教に対する感想

第二 私の青年時代と宗教に対する感想
 
成長するにつれて、私は英学を志し、県立学校に進学し、
後に東京に遊学し、また帰郷して、立志社の学校に入り、
もっぱらミル、スペンサー等の書を研究した。
私は立志社の一員として、しきりに自由民権を唱え、
また好んで無神論を唱えた

当時の私の感想は次の通りである。
「宗教を以て国を建てようとするのは、実に愚かなことであり、
 哲学を以て国家の原則とすべきである」
このような考えを以て、まず始めに、家族から宗教を取り去ろうと、
偶像を汚し、神仏を悪く言うことで、痛快な気持ちになっていた。
また、祈祷札を踏みつけ、家族を迷信から目を醒まそうなどと試みたりもし、
家族の感情をひどく傷つけてしまった。

キリスト教に対しては、これは文明国の宗教ということで、
他の宗教よりは優れているのだろうと、漠然と考えていたが、
自分からこれを信じようとはしなかったし、これを研究しようという考えも全くなかった

私は、初めて立志社の学校でギリシャ正教の説教を聴いた。
私がここの生徒であった時、ギリシャ正教の師が学校に来て、
説教をした今思うにその説教は有神論のようであった。
その後、米国の宣教師・アッキンソンが高知に来て、立志社の講堂で説教したこともあった。
しかし当時の私は、政治改革を目的とし、
しきりに政治談義に熱中していた頃だったので、宗教などには関心を持たなかった



***********************************

というわけで、当時はもっぱら政治や哲学に熱中していた直寛さん。
初めてキリスト教に触れたのは、立志舎でのギリシャ正教の説教でした。
このギリシャ正教の師、確認できてませんが、
沢辺琢磨ではないかと思われます。
土佐の郷士出身で、龍馬や武市半平太とは親戚関係にありました。
江戸に遊学中、酔っ払って道端に落ちていた金時計を質に売ってしまい、
切腹させられるところを、龍馬と半平太に助けられ、
逃亡・脱藩した話は有名ですね。

函館に逃れ、ロシア正教会の司祭・ニコライと出会います。
ニコライをロシアのスパイと思い込んだ沢辺は、
殺害を企て殴りこみに行きますが、逆にニコライに
「なぜ、キリストの教えをよく知らないのに、邪教とするのか。
 よく研究してから、決めてもいいのではないか。」 と言われ、
3日間通い続け、とうとうこれを信じることを決心。
洗礼を受けて、後に日本人初の司祭となりました。

なんとも、不思議な巡り合わせですね001.gif 
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by hokkaido-revival | 2010-11-21 20:48 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

第一 私の幼少時及び教育のこと

第一 私の幼少時及び教育のこと

私が生まれたのは、高知県安芸群の一小村で、安田村と言う。
海と山に囲まれた村であった。
父の名は、高松順蔵、号を小野(しょうや)と称し、
儒学を修める一方で、詩歌をたしなむ人であった。
終生、儒教主義をもって、郷土の壮士を教えていた。
かの中岡慎太郎を始め、野根山事件に斃れた二十三烈士なども、
その多くが父の薫陶を受けた者である。

私は父の次男で、幼い時に母を亡くし、
十七歳の時に叔父・坂本龍馬の兄である権平の養子となった。
その頃は、特に宗教的な教育を受けたことはなかったが、
父や母に連れられて神社や寺に参詣したこともあった。
父は私に、神社にお参りする時は、この歌を唱えるようにと言った。
「あづさ弓 八幡の神の恵みにて 守らせたまえ 武士(もののふ)の道」
村の神社と言えば、八幡宮だったが、
私は特に信仰心があったわけではなく、
ただ父の言う通りに、この歌を唱えて、参拝していた。

幼少時の宗教に関することと言えば、それぐらいである。
信仰を養うような教育を受けたこともなかった。
しかし、道徳教育は、常に父より家庭の教訓を受けた。
父は常日頃から、忠孝烈士の史談を話して聴かせた。
また、夜には家族全員を集めて軍書・伝記の類を読み聞かせたりした。
私はいつもこれを聴いて、正人義士が主君のため、大義のために、
艱難に殉じ、また奸臣に殺され、
あるいは生き別れた親子が悲運に遭う話などを聴いては、
幼いながらも、悲しみ、痛み、憤りをおぼえ、布団をかぶって、ひそかに涙を流したりした。
このことは、今でもはっきりと覚えている。

また、私の性格も、大勢が賑やかに集まって遊ぶよりは、
むしろ、静かな山や海を散歩する方が好きで、今もこれは変わっていない。
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by hokkaido-revival | 2010-11-21 20:08 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

『余が信仰之経歴』について

直寛の自伝・『余が信仰之経歴』 は、正編・続編に分かれています。

正編は、明治28年、メソジスト出版舎から。
続編は、明治42年、教文館から、それぞれ出版されています。

著作権が切れた現在、国立国会図書館のデジタルアーカイブポータル・PORTAで閲覧できます。

d0202231_19131865.jpg明治時代の格調高い文章です。
画像も荒いので、大変読みづらいです・・・f(^_^;)

一度、土井晴夫氏が現代語に訳して、
出版されたそうなのですが、
残念なことに、絶版となっております・・・(ToT)



というわけで、私のヘタクソな訳でもいいから、
現代語でてっとり早く読みたい!というお方は、
どうぞ、このブログでご愛読くださ~い(*^▽^*)






~目次~

≪正編≫ 直寛がキリスト教に初めて触れ、洗礼を受け、家族の迫害に遭いながらも、
たゆまず成長してゆく過程が、様々なエピソードとともに綴られています。


第一 余が幼時及教育

第二 余が青年時代と宗教に対する感想

第三 余が基督教を講究せし端緒

第四 余が受洗後の信仰及家族一同俄然聖霊の恩化を受し事
  
第五 余が幽囚と経練
 
第六 余が獄中の感想及書翰
 
第七 獄中の聖書類書及伝道並に附言

第八 余が第二の試惑

第九 其後に於ける余が家庭の喜憂

第十 余が政事上の思想
 
第十一 伝道上に於ける所感

第十二 余が神学及宗派に対する感情

第十三 余が小児大患に罹りし時の経験


≪続編≫いよいよ、北海道へ移住、精力的な伝道が始まります。
     特に、十勝監獄で起きたリバイバルのくだりは、感動の嵐です。
     涙なしには読めませんよ・・・。


第一 暴風中の航海

第二 予が第二の妻の病気及其死

第三 予が拓殖事業を発起したる元由

第四 予疾病に由て罪の事を感せし事

第五 予が北征及移民の困難

第六 予亡父の和歌によりて神恩を感ぜし事

第八 予が幼児実扶的亜に罹りし事

第七 予石狩国に居住を定めたる事

第九 予大洪水に罹りし事

第十 予が孤立及悪評

第十一 予が沈黙の期間

第十二 予が農村の生活

第十三 予再び社会に立し事

第十四 軍隊の伝道

第十五 監獄伝道の開始

第十六 旭川及十勝監獄のリバイバル

第十七 北見に於て聖霊の活動

第十八 十勝監獄に於る聖霊の指導

第十九 第四回十勝監獄の伝道及受洗者を多く出したる事

第二十 十勝監獄に於る第二回囚人のリバイバル

第二十一 十勝監獄に於る大挙伝道

第二十二 瀕死の病人祈祷に由て回生せし事


タイトル見ただけで、何かすごいことが色々あったんじゃないかと、
ドキドキしちゃいますね016.gif
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by hokkaido-revival | 2010-11-20 19:18 | お知らせ