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第五 私の投獄と試練(1)

第五 私の投獄と試練(1)

明治二十年十月、私は、
三大事件として政界の輿論を呼び起こした問題について、
建白総代の一人に選ばれて上京することとなった。

私は教会の兄弟姉妹にも、建白の主旨を告げ、
別れのことばを述べ、互いに祈って、別れた。

上京する前日、村上氏(以前、母に小冊子を渡した魚売り)が訪ねて来て、
私の上京にあたり、ヤコブ書一章二~三節を読んで欲しいと言った。
 
 『私の兄弟たち。様々な試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
 信仰がためされると、忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。』
                         (ヤコブの手紙 一章二~三節)          


私は、片岡氏等とともに、他の同志達より先に上京しようと思い、
同月十九日、浦戸港に行ったが、天気が良くないので、
出港することがかなわず、家に帰った。
同じく、二十一日に出港したが、やはり天候が悪く、須崎港に寄り、
翌二十二日、出港した。

しかし、この日もまた天気が一層悪く、波が激しかったので、
再び須崎港に戻ることとなった。二十三日、
波が静まるのを待って、同港を出帆した。
この時私は、自分達の前途もこのように困難なものになると予感した。

そうして、二十七日には、東京に着き、全国から集まってきた有志者と議論し、
また、元老院に出頭したり、権力者を訪ねて建白の主旨を述べたりした。
時の総理大臣・伊藤伯(伊藤博文)は東京にはいなかったので、
私達は彼の帰京を待って、面会し、談判しようと決めた。
総理大臣は程なく帰京した。

by hokkaido-revival | 2010-12-02 20:43 | 『余が信仰の経歴』 正編1-5  

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